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  ~ Second Photograph ~

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 ぷ~ちゃん 

 
 
# 160 ぷ~ちゃん 

 

 

 

 
 
  今日で阪神・淡路大震災が起きてから15年経つが、まだ数年前の出来事のようにも思えるぐらい
  あの日の記憶は今でも残ってる。
  と書くと、自分も その日に阪神淡路に居たように聞こえますが、自分は東京から離れたことありませんw
  でも、あの日のことは今でも忘れてません。
 
  15年前の1月17日の東京。
  あの日も今日と同じぐらい寒い朝でした。
  寝室で寝てた自分は、小さくも長く揺れる地震に目が覚め、薄暗い部屋の中で何となく嫌な予感がした。
  それは自分の経験上、何十秒と長く揺れる地震の時は、必ずと言っていいほど どこかで大きな地震が
  起きていることが多いからだ。    
  そこで、すばやく居間に行ってテレビを付け、地震速報が流れるのを待った。
  地域は覚えてないが、確か「M6.3」という数字が流れたと思う。
  各局は朝の番組を震災を伝えるニュース速報と変って行った。
  しばらくして、ヘリから映る被災地の映像が流れ、住宅街みたいな場所から煙が舞い上がってる映像が見え
  これはただ事ではないと感じた。
  しかし、もう仕事で家を出なければならない時間。
  大地震の事が気になりながらでも、一歩外に出ると そこは東京。
  街は何らいつもと変わらない日常の時が流れてた。
  職場でも大地震の話題は出るものの、まだネットなども一般的ではなかった時代だし、しかも仕事中に
  テレビやラジオを聴くなんてことも出来ず、殆ど生の情報を聞くことは出来なかった。
  
  家に帰りテレビを点けると、状況は想像を遥かに超える最悪のものだった。
  テレビから流れる映像は、どれも映画のワンシーンを見てる感覚で、これが現実に起きてるの?
  そんな感覚だった。
 
  連日、テレビを点ければ震災のニュースが流れていて、やっと現実に起きたことなんだと実感出来たが
  マグニチュードの発表も日に日に「M6.8」「M7.0」と上がって行ったと記憶している。
  「液化現象」なんて言葉も、この時初めて聞いた言葉だった。
  「頑張れ神戸!」の合言葉も連日のように耳にし、復興へ向けて頑張る映像が流れるたび “関西魂” みたいな
  ものを感じたとこを今でも思い出す。
  
 
 
  いつか東京にも大きな地震が必ずやって来るだろう。
  そして誰もがテレビで見た15年前の阪神・淡路大震災の光景が目の前の現実となったとき
  我々能天気な東京人は…


 
  震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
 
 
 
   
janre: 写真 |  trackback: -- | comment: 0 | edit

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